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大阪地方裁判所 昭和33年(わ)858号 判決

被告人 小松実

主文

被告人を懲役一年に処する。

但し本裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

被告人は布施市友井四百二十番地クリーニング店山下義一方に住込店員として働いているものであるが、昭和三十三年四月六日は店が休みであつたので午後野球試合等をして後、同日夕刻近鉄布施駅前の酒場や店の近くの近鉄弥刀駅前のすし屋で飲酒し、午後十時過頃店に帰つたところ、既に店の戸が閉まつていて閉め出されたので、附近のかねて知合の風呂屋錦湯に立寄り、午後十一時頃もしやと思い再び店に戻つたが、その時は既に店内の電燈も消えていた。それで店に入ることを諦め、当時所持金も五十五円程しかなく、他に泊るあてもないため、思案の末、前記弥刀駅内のベンチででも夜を明かそうと考え、同駅へ赴いたところ、乗客が降りてくるのに出会つた。それで得意先の者に顔をみられてもこまるので、その場を避け、酔さましのつもりで同日午後十一時四十分頃既に人通りも途絶えた布施市金岡百四十五番地弥刀墓地東南方路上附近を徘徊中、

第一、折から弥刀駅より帰宅途中のA(当時四十年)が被告人の後方より歩いて来る姿を認め、酔余のいたずらから右墓地東側路上附近において、逃げる同女を追つて突然同女の背後に飛びかかり、同女を路傍に押し倒し、被告人も又共に打ち倒れたが、同女がおどろいて声を出したので、人に見とがめられるのをおそれ、更に右手で同女の口を塞ぐ等の暴行を加え、よつて同女に対し治療約一週間を要する上顎左側中切歯歯牙外傷及び約五日間の通院療養を要する左膝部及び前頭部擦過傷の傷害を負わせ、

第二、その際右Aが被告人の右暴行に畏怖ろうばいの余り、難を避けるため、その所持していた現金合計千四十八円、定期券等雑品在中の手提鞄一個をその場に投げ出し、一時そこから逃れ去つた隙に、不法領得の意思をもつて右手提鞄一個をその場から持ち去り、これを窃取し、

たものである。

(証拠略)

法律に照らすと、被告人の判示第一の所為は刑法第二百四条、罰金等臨時措置法第二条、第三条に、判示第二の所為は刑法第二百三十五条に各該当するところ、右傷害罪については所定刑中懲役刑を選択し、以上は同法第四十五条前段の併合罪であるから、同法第四十七条、第十条により犯情重いと認める右窃盗罪の刑に併合罪の加重をなした刑期範囲内で、被告人を懲役一年に処し、情状にかんがみ同法第二十五条第一項により本裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用は刑事訴訟法第百八十一条第一項本文に則り、その全部を被告人に負担せしめる。

本位的訴因及び予備的訴因一についての判断

一、強盗致傷の本位的訴因について、

検察官が本位的訴因において主張する如く、被告人に強盗の犯意があつたか否かの点について考えてみるに、なるほど、被告人はその自首調書、検察官、警察職員に対する各供述調書において強盗の犯意を認める自供をしており、又右各供述調書や工藤武政の司法巡査に対する供述調書によると、被告人は数日前に貰つた給料の殆んどを借金の返済や飲食費等に費消し、本件犯行当時は五十五円位の所持金しかなかつたこと、犯行前日及び当日にも知合い工藤武政から昭和三十二年八月頃買受けたトレンチコートの残代金千五百円の支払を催促されていたことなど、ある程度金銭に窮していた事情が認められる。しかし、(一)、被告人の前記各供述調書、山下義一及び工藤武政の司法警察職員に対する各供述調書を綜合すると、被告人は昭和三十一年九月頃よりクリーニング店山下義一方に住込店員として雇われ、爾来さしたる非行もなく真面目に働いていたもので、給料も食費、部屋代抜きで月一万円を得て比較的安定した生活を送つており、犯行当時所持金が僅かであつたとはいえ、住込店員であるため生活費としては小遣銭程度で事足りたのみならず、当時給料から天引した普通預金が四千円程もあり、トレンチコートの残代金も被告人としては場合によつては右貯金を引出して支払う考えでいたことが認められるから、当時所持金が僅少であつたとか、トレンチコートの残代金千五百円の支払を催促されていた如き事情は、右の如き比較的安定した生活状態にあつた被告人が店の営業区域内と思われる場所で、帰宅途中の婦女から金品の強奪を企図するに至つた動機としては薄弱である。(二)被害者Aの当公判廷における供述並びに同人の検察官、司法巡査に対する各供述調書によれば、被告人は被害者が所携の雨傘をその場に投げすて、手提鞄を手にもつたまま逃げるのを追いかけているにかかわらず、その手提鞄を奪取する行動にでることなく、いきなり背後から同女に飛びかかり、路傍に倒していること、その際同女が声を出したため「声を出すな」といつて手で口を塞ぐ等の暴行を加えてはいるが、金品を要求するような言動を少しもとつていない。のみならず、かえつて、同女が強姦されるものと思つて、「おばあさんだから勘忍して、これあげるから許しておくれ」といつて、その所持していた手提鞄をその場に投げ出したのに、被告人は「そんなものはいらない」とそれを拒絶している。以上の諸点に加えて、更に(三)、被告人が当公判廷において強盗の犯意を極力否認している点、又(四)、証人小谷種次の当公判廷の供述によつて明らかな如く、被告人は本件犯行後間もなく最寄の交番所に自首しているにかかわらず、その自首の際には、ただ本件手提鞄を巡査の前に投げ出し、「弥刀駅から帰る途中の婦人を弥刀墓地附近でやつた」と供述するのみで、その具体的な事情については語ることを避けていたのに、同巡査は被告人が後方から突き倒し、口を塞ぎ、手提鞄を持つて行つたというだけの事実から直ちに強盗の犯意があつたものと認め逮捕手続書を作成している点、(五)前記被告人の各供述調書の記載内容には、本件犯行の動機、強盗決意の時期等の点においてかなりの差異が認められ、被告人が取調官の追及に応じて供述した疑の十分存する点(従つて被告人の前記各供述調書の中、強盗の犯意を認める各供述記載部分は信用しがたい)等を併せ考えると、本件において被告人の強盗の犯意は到底これを認め難く、他にこれを確認するに足る証拠はない。従つて後記の如く予備的訴因一の強姦の犯意の点についてもこれを確認するに足る証拠がない以上、被告人の本件所為は、Aに暴行を加え傷害を与えた傷害罪と、手提鞄を領得した窃盗罪の二個独立の罪を構成するものというべきである。

二、予備的訴因一の強姦致傷の点について、

検察官が予備的訴因一において主張する如く、被告人が強姦の意思でAに対し判示暴行を加えたものであるか否かの点について考えてみるに、この点については、被告人は当公判廷ではもとより、検察官等の取調に際しても右強姦の犯意を強く否認するのである。なるほど前掲の各証拠によれば被告人は深夜人通りのない淋しい場所で、通行中の被害者の背後から突然飛びついて同女を路傍に倒し、更に同女が声をたてたため手でもつて同女の口を塞いではいるが、その後間もなく同女が隙をみて逃走したのに対し、被告人はそのままに放置し、それ以上何等積極的な行動に出ていないのであるから(もつとも、その際被告人も共に倒れ同女の背後から乗りかかるような恰好にはなつたが、被告人が意識して同女の背後から乗りかかつたものとは認めがたい。)、右の如き被告人の暴行の事実のみで強姦の犯意を認定するには不十分であり、他に強姦の犯意を認めるに足る確証がない。もつとも中村清香の司法巡査に対する供述調書によれば、被告人が店を閉め出され、同日午後十一時前頃かねて知合いの風呂屋錦湯に立寄つた際、その主人に、「遊びに行くにも金はなし、中途半端の時間やし、ちつと遊んでいよう」と述べていた旨の記載があり、右「遊びに行く云々」の言葉が、かりに女郎買いに行く意味であつたとしても被告人がその後風呂に入り、五分ばかり雑談して、「もうしようないわ、これやつたら駅で寝よう」といつて、右錦湯を出て行つたことや、被告人の当夜の行動等に照らし、「遊びに行く云々」の点はさして重要な意味を持つものではなく、被告人が店を閉め出されその夜をどうして過ごそうかと考えていた時、不意に出た軽い言葉であるとみるべきであるから、これを以つて強姦の犯意認定の資料とするわけにはいかない。

弁護人の主張に対する判断

一、判示第二の窃盗の点について

弁護人は、本件手提鞄は、被害者が被告人より暴行を受け、逃げる際投げ捨てたものを、被告人が拾つて遺失物として交番に届出たもので、窃取したものではなく、被告人に不法領得の意思はなかつた旨主張する。

そこで先ず本件手提鞄が被害者の占有を離れたものであるか否かの点について考えるに、被害者が被告人より判示の如き暴行を受け、その所持していた手提鞄をその場に投げ出して逃げ去つたこと、被告人がその直後右手提鞄をその場から持ち去つたことは判示認定のとおりである。しかして前掲記の各証拠によると、被害者は右手提鞄の占有を放棄する意思ではなく、被告人の暴行に畏怖、ろうばいの余り、難を避けるため一時該物品をそこに放置したまま、その場を逃れて附近の風呂屋に救いを求め、同所に居合せた自宅近所の者と共に、被害後約五分位にして現場に引き返し、右物品を捜し求めていること(その時既に被告人が持ち去つた後であつた)、被害者が該物品を放置したのは道路上であつたが、同所は人家のとだえた場所で、しかも当時は深夜のため人通りも全くなかつたこと、などが認められるから、以上の如き諸般の情況を統一的全体的に考察するとき被告人が該物品を持ち去つた時、依然該物品の所持は被害者にあつたものと認めるのが相当である。もつとも被害者は、右逃走の際、「手提鞄は上げるから云々」といつて鞄をその場へ投げ出してはいるが、右は被告人の突然の暴行に畏怖ろうばいの余り発した言葉と解せられ、その真意に出たものとは到底認められないから、その所持の被害者にあることにはなんら変りはない。次に不法領得の意思の点について考えてみるに、この点については前掲被告人の各供述調書等により明らかな如く、被害者が右手提鞄を投げ出してその場を逃げ去つた直後、被告人は直ちに自分のものにするつもりでそれを持つて道路脇の墓地に上り、同所でそれを開け、その中から財布二個をとり出して自己のポケツトに入れているのであるから、被告人に不法領得の意思があつたことは十分に認め得るところである。

二、心神耗弱の主張について、

弁護人は、被告人は本件犯行当時飲酒していたため心神耗弱の状態にあつた旨主張するが、被告人の検察官等に対する前掲各供述調書、稲垣勝枝、中村竹野の司法巡査に対する各供述調書によつて認められる被告人の本件犯行当日における飲酒の量、時間、被告人の平素の酒量、飲酒後犯行前後における被告人の行動態度に加えて、飲酒時より本件犯行に至るまで一時間半以上を経過している事実に徴すれば、被告人は本件犯行当時相当めいていしてはいたが心神耗弱の状態にあつたものとは到底認め難い。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 西尾貢一 家村繁治 藤井正雄)

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